クレーマー
すこーしむかしのお話です。
ある高校にナオニートという高校生がおりました。
そこは普通の普通高校で、数百人の生徒がおり、普通にナオニートにも友がおったそうです。
ナオニートの友、転校生のイズミートがある日、転校前の学校での話をしてくれました。
イズミートが言うには、その仲間の一人が、とにかく「お」が嫌いなんだそうな。
お弁当、お喋り、お茶の間、お姉ちゃんなど、色んな言葉の頭に「お」が付きます、が、それを何が何でも「お」を抜きたがるらしく。
弁当、喋り、茶の間、姉ちゃん、これは構いません。
ですがこの仲間は、お母さんのことを「ふくろ」と呼ぶんだそうです。
いや、これはまぁ、間違ってはいないでしょう。多分。
おふくろを漢字で書くなら御袋ですから、間違ってはいませんね、なんとなくおかしいけど。
はい。
もう、お気づきでしょうが、この人、お父さんの事をなんと「ヤジ」と呼んでたんだそうです。
親父のおまで抜いちゃってたんだそうです。
わり(おわり)。
この話が嘘かホントかは分かりませんけどね、こんなバカらしい話でめっちゃ笑った記憶があります。
どんだけおが嫌いなんでしょうね。
仮にこの話がホントだったとしたら、もう何でもありですよね、いや何でもなし、かな?
- おふくろ⇨ ふくろ
- おやじ⇨ やじ
- おでん⇨ でん
- おおかみ⇨ かみ
- おや⇨ や
- おば⇨ ば
- オークリー⇨ クリー
- オーディオ⇨ ディ
みたいな。
ら抜き言葉について、悪く言う人は多いようですけど、中にはこれを時代の(自然な)流れという人もいるようです。
私はら抜き言葉については肯定派ですね。
見られる、とか、食べられる、とか、分かりにくいじゃないですか。
「〇〇することができる」という使い方と、「〇〇されてしまう」という使い方で同じ言葉になってしまうんで、私はこれを使い分ける意味で、ら抜き言葉を使ってます。
つか、ブログ書く時だけですけどね、喋る時は球磨弁だし雰囲気で分かるし、ら抜いてません。
時代の流れ。
今、燃えるゴミも燃やしちゃいけないじゃないですか。
聞くところによるとホントは畑や田んぼでの野焼きもやっちゃいけないらしいですよ。
燃える(燃やしてもいい)ゴミは燃やす場所があるなら燃やしてよくね?
仕事柄、畜産農家のお客さんが多いんですけど、悪臭で近所から苦情があることも多いようです。
中にはその地区でも一番古いほどの畜産農家(住人)なのに、新しく移住してきた人たちからの苦情が元で逆に追い出されるって事例もあるんだそうで。
後からきといてよくそんなデカい面できるもんだとビックリです。
こんなことを考えたのは、たまたま仕事でそれに関する議論があったから。
その事は詳しく書きはしませんけど、ちょうどこんな記事を見かけました。
まさかの除夜の鐘にまでクレーム。
もう、ホント、どうかしてるでしょ。
保育園の騒音にもビックリしたけどさらにビックリしましたね。
ほぼ間違いなく、そこに寺があると知って住んでいるはずなんですよね、そのクレーマーは。
鐘は撞くものですって。
で、寺にはなくてはならない鐘を撞くのは当たり前じゃないですか。
生きにくいこの世の中、一体だれが生きにくくしているのか。
規則、規制、と、どんどん難しく、生きにくくなっていく。
時代の流れと諦めるのか、少しでも抗ってみせるのか、それとも知らんふりを決め込むか。
知らんふり、つか、多くの人が興味すら示さず知らないままなせいで御上の思うがままになっていってるような、そんな気がします。
つづく。