無事不時着。
最近、米軍の航空機がよく落ちてますね。
と、書こうと思ってたら今日のニュースで日本の旅客機(政府の飛行機だっけ?)から部品が落下してたって言ってましたけど。
上から物が落ちてきたら、それを回避するのって難しいと思うんですよね。
常に上を気にしてたなら回避できるかなとも思うんですけど、まぁ普段、上から落ちてくる物といえば木の実か鳥の糞ぐらいでしょ、なのでそんなに気にしてない人がほとんどだと思うんです。
空から飛行機やらヘリコプターやら落ちてきてもらうと困りますもんね、そんなことがあったらちょうど頭の上に落ちなくても命の危険が伴いますって。
あ、そんな話じゃなくて、ニュースではよく「不時着」と表現してるけど、それって「墜落」と違うのか?って話。
オスプレイが落ちて大破した時も、ついこの前ヘリコプターが落ちた時も、それ以外のも墜落したのに不時着したって言ってました。
え、アメリカの顔色うかがって遠慮してるんでしょ?
墜落と不時着の違いを調べてたらこの記事が見つかりました。
この中の言葉に、
あくまで個人的解釈でしかありませんが、不時着と墜落の違いは、
自ら降りたか、勝手に落ちたの違い
で判断するのが良いのではないかな、と思いました。
そして、意図的に第三者による攻撃で"落とされた"場合、撃墜になるのでしょう。
自分から不時着地点へ向かったなら、自分の意思でその場所へ落下していったと考えられます。
落ちたというと、意図せずその場所へ落下したニュアンスにとれますよね。
落とされたなら、確実に自分ではない何らかの力を受けて落下してしまったと想像することができます。
とありました。
えっと、もしこれが定義だとしたら、もし私がパイロットで、操縦していた航空機が何らかの問題で落ちたとして私が生き残れたとして、そしたら間違いなく『そこに不時着した』と表現すると思います。
どんだけ機体がバラバラだったとしても、乗客が生きていようと全員亡くなってようと関係なくそう言うでしょう。
パイロットが生きてたなら、ほぼ間違いなく「意図的にそこに降りた」と言うでしょ?
逆に、乗客全員生きてたのに「操縦ミスが原因でコントロール不能になってたまたまそこに落ちたんだけど、偶然全員生き残れたよ、助かった、よかった。」なんて言う人なんていないと思います。
結局何が言いたいかというと、「墜落」も「不時着」も表現の違い以外ないんじゃないかってこと。
生きてても死んでても、機体が無傷でも大破しててもどっちの言い方もできるって事なんでしょ?
つまりどっちにしても「不時着」と表現すれば平和っぽいよねってこと。
で、ここからが本題なんです。
去年の暮れ、しりもちついて、ケツが割れてしまいました。
ケツから火が出たんじゃないかと思いました。
いや、火じゃなかったかもしれないけど何かが少し出てたかもしれません。
メンドくさいし説明しづらいんで詳しくは書きませんけど、とにかくしりもちつきました。
そして火か何かがケツから出たかもしれないんです。
コレを事細かく、詳しくは書けないんですけど、これだけは強く言いたいんででっかく書いときます。
『不時着でした。』と。
詳しくは書けないですけどある時、つか年の暮れ、或る場所から彼の場所へ私は飛び降りようとしてました。
で、そこに飛び降りようと足を外した次の瞬間、そのすぐ先の未来での身体の危険を感じ、とっさの判断で、ケツでの不時着を試たんです。
結果、無事にケツでの不時着に成功しました。
が、ケツが、痛い。
もう、火が出たんじゃないかって程。
いや、火じゃなくても何かが出てたんじゃないかと思う程に。
今となっては、つかその時普通に飛び降りた私は今いないんで比較することなんてできませんし、つまりケツで不時着を試みた事が正解だったのかどうかは比べようもないんですけど。
火が出たか、その他の何が出たかじゃないんです。
墜落だったか不時着だったかの問題じゃない。
それでも、あのまま飛び降りてなくて良かったなと、かれこれもう2週間、未だ痛みの引かないおケツをかばいながら、「あれは墜落ではなく、不時着だった。」と、自分を慰めている私でした。
不時着か、墜落か、表現次第ですもんね、もうどっちかに統一した方が分かりやすいかもよ?
つづく。